避けられないってわかっているけど
出会いって
素敵なことだと
思っているけど・・
その分
ホントの別れ
泣くしかない
ただただ・・泣くしかない
そんなことってあるの?
”じゃあ~またね~🤗”
友達と別れるとき・・
だいたいこんな感じに
手を振って 別れますよね
また 次がある
そんなことすら意識もしないで・・
伝え忘れた!!と思っても
後で連絡しておこう とか
次に会った時に言おう とか
家から子供を送り出すときも
”いってらっしゃい”
”おかえりなさい” と
言えるかしら?
とは普通考えませんよね
家族
普段からよく会っている友達
職場の人たち
これを読みながら
”次も当たり前に会うと思っていた・・”
”ちゃんといつも通り帰ってくると思っていた・・”
と 悲しいけれど
ある人を思い出している人もきっといるはず
友達から電話がきました
”すぐ 新聞見て!!”
17歳のときでした
その当時はまだ携帯もなく
一番早い連絡手段は固定電話のみ
そんな時代
訳も分からず・・新聞広げましたね
”どこ? 何見ればいいの?”
友達は・・詰まりながら
”事故で死亡したって・・載ってる”
”何が? えっ? 誰が?”
私が付き合っていた彼氏でした
突然訪れる 別れ
しっかり見送る 別れ
どんな別れでも・・つらい
頭の中が真っ白になる
そんな表現を使うんだと思います
実際 ほとんど覚えていません
友達から電話で聞いたあと
何を思って どんな行動をしたか
あまり 記憶がありません
ただただ 泣いた
ひたすら 泣いた
体中の水分がなくなるほど 泣いた
でも 父親も母親も知りません
付き合っていたことも知りません
とても厳しい両親でした
”付き合っている人がいたけど・・
死んじゃった”
と言えませんでした
だから わからないように
部屋で一人 泣いてました
”もう 会えないってこと?”
“それって どういうこと?”
”死”
17歳の私は・・
若い人は 死なない
頭ではそんなことはないと知っていても
どこか別世界の意識でいたと思います
当たり前が 当たり前
明日がある 当たり前
ケンカをして
そのままだったんです
ホントに バカみたいに
どうでもイイことで・・
あやまらないまま
逝ってしまいました
私がずっと持ち続ける宿題です
”あの時は ごめん” と
会って言うことができたら
やっと宿題提出完了です!!
もう30年以上経っています
正直 思い出さない日もあります
でも命日には必ず手を合わせ
”あの時は ごめん”
自分が楽になりたいからですね
毎年
毎年
”あの時は ごめん”
最後の顔が
お互い笑顔でなかったこと
ただただ 泣きました
体中で叫ぶ
私には二人の娘がいます
年の差は 8年
その間に もうひとりいました
長女が待ち望んでいた
弟か妹
それを知っていたから・・
当たり前に生まれてきてくれると
思っていたから
すぐに報告しました
予想通りに 大喜び
早速 弟なら・・
妹なら・・
名前を考えはじめました
目をキラキラさせて
嬉しそうに
ある日なんの前触れもなく
職場のトイレで出血
”なんだ?”
”どうして?”
すぐに車を運転して産婦人科へ
”ダメかもしれません・・”
先生の言葉の意味がよくわからない
”かも”って何?
結局出血が止まらず
流産でした
でもその時しっかりと
陣痛が始まりました
何分おきに・・
きっちりと・・
痛みが襲ってきました
その痛みは・・
なんとも悲しく辛い痛みでした
”ここにいるんだよ”
男の子なのか
女の子なのか
それすらわからず
当然顔もわからず
でも必死に存在を知らせる痛み
”ここにいるんだよ”
”ごめんね・・ごめんね”とお腹に手をあて
痛みを感じていました
人はたくさんの出会いと別れを経験します
身をきられるようなつらい別れを経験した人もいるでしょう
避けられない・・
だから・・
ただただ泣いて
ひたすら泣いて
時々 思い出して
時間が解決してくれる・・
正直 それは感じます
決して忘れはしないけれど・・
泣かない私になったのは
時が経ったから・・
あの時の別れで私の考え方や
人に対する想いが変わったから・・
時々思い出す
”あの頃17歳だった私はもうこんなに年をとりました(笑)”
と明るく心の中で話しかけたり
”ママ 頑張っているよ”
とわざわざ自慢したり(笑)
やっぱりエネルギッシュで前向きな
私の姿を見せたいですね
そりゃ~生きてればいろいろあるけれど
こんな感じです!!って
見せたいですね